猟奇的ゆとり虚言癖

よくお前ほど普通の人はいないと言われます。

最終的にセミナーを進める記事は爆発しろ

「もはや日記とかそういう次元ではない」

このブログを読んで衝撃を受けました。

ブログというものをまるっきり読まない私にとって、ブログというのは、芸能人が日々の生活を綴ったり、飼ってる犬や猫の写真を載せるものだとばっかり思っていました。

ブログというのはこんなフリースタイルで暴れまわって良いものだったのかと今までの固定概念が完全に砕け散り

私も、私も混ぜてくれ!

そんな思いでブログを始めました。

書いてみると如何に自分の文章力が低レベルなのかを思い知らされます。絶賛思い知らされ中です。

そして、面白いブログを探し回るようになりました。

特に目当てのブログを見つけた時はこんな文章を書ける人がいるのか、と感動と嫉妬と惨めさと切なさと心強さをいつも感じています。

そんなブログを見つけるために

 

「文章力  ブログ」

 

と検索しました。

すると、「文章力が凄いブログ」が出てくる訳ではなく、「文章力が凄いブログを書けるようになりますよ」といった趣旨の記事ばかり出てきます。

これに関しては私の検索能力が著しく低い為に生まれた結果ですので、ただ自分を責め、悔やみ、その夜は枕を濡らすことにします。

仕方なく、私はその「文章力が凄いブログを書けるようになりますよ」といった趣旨の記事を開くと、タイトルに数字を入れろだとか、とにかく読めとか、書けとか、顧客ニーズを意識しろとか、そんな内容を見て

 

「私は心底勉強が嫌いだ」

 

そういう思いにふけこみ、自身の堕落さに落胆し失望し涙し、そして何も考えられなくなり蝉の抜け殻の様にただその場で朽ちるのを待つだけの存在となります。

その記事は、私の砕け散ったはずの固定概念をジグソーパズルの様に修復させ、そこにはただ「つまらない」の5文字が書いてあり、それ以外何もないただの灰色の空間だけが私を支配し、何もする気が起きない私にセミナーを進めてきます。

こんなにつまらないことが世の中にあるのでしょうか。

私はただ無になり、此処にいるより刑務所に入った方が面白いのではないかと現実逃避の最終地点に到達します。

そしてこのセミナーは刑務所のそれなのではと思い込み、このセミナーに参加すれば少なくとも今を変えられるのではないかと自ら混乱の渦に飛び込むことでそこに少しの安堵感を覚え、まだ死ぬ必要は無いのではないかといつの間にか自殺を前提として考えをまとめていることに気づいたところで、私の生存本能が急激に沸き立ち、

深夜、自室のアパートにて叫びます。

 

 

「こんな記事爆発しろ!!」