山崎賢人が「どこにでもいる高校生」を演じる問題について
※このブログは偏見にまみれています。
どこにでもいる高校生〇〇は、ある出来事をきっかけに人生が大きく変わってしまう。
あらすじでよく聞くフレーズだ。
この際、人生が変わるまでは「どこにでもいる高校生」だったということだからその後、物凄く特殊な人物になったとしても言及はしないでおこう。
問題は、この〇〇は本当にどこにでも居て良いのか、ということだ。
というのも、どこにでもいるというのは見た目は爬虫類系で身長は165cm。野球部に入っているが万年補欠で、休み時間はクラスにいる2人の友達と喋り、家に帰ったらテレビゲームをするような高校生だ。
こんな主人公は見たことがない。
というかそんな奴を主人公に出来るのかが問題である。
見た目は普通と物語では言っておきながらイケメンに描く漫画はありふれているし、実写化したらどうせ山崎賢人を使うのだろうし
そもそも、どこにでもいる高校生なのだから一般人を使うべきではないのか。
使わないのならファンクラブが出来そうな顔面レベルの俳優ではなくて大泉洋レベルの俳優を使うべきだと思う。
ただ、どこにでもいる高校生を主人公にしてる映画は大抵、青春ラブコメなわけで大泉洋が主人公の場合、特殊な性癖をお持ちの方しかご来場しないのではないか。
やはりどこにでもいると言いながら山崎賢人を使うしかないのか。
でもそれはツイッターに自撮りを上げて「あーまじブス」と呟くのと一緒だ。
自らが可愛いとわかっていながら「あーまじブス」
自らが山崎賢人とわかっていながら「どこにでもいる」
完全に一緒である。
だとしたら山崎賢人に「どこにでもいる高校生じゃない」と言っている私は、「あーまじブス」に対して「そんなことないよー」と言っているフォロワーの1人ということだ。
山崎賢人の思うツボだ。
ここは、「本当にブスだね」って言わないといけない。
だって本当のブスはそんな堂々と自撮りしないし、スマホ持ち上げて上目遣いしないし、アヒル口らないし、ブスって知ってるからみんなに同意を求めない。というか同意を求めてたらメンタル強すぎて怖い。
つまり自撮りして「あーまじブス」というのは捻くれた自分可愛いアピールであり心はすげーブスであるのだから「本当にブスだね」って言ってあげないといけない。
どこにでもいる高校生といって登校している山崎賢人にも「本当にどこにでもいそう」と言ってあげないといけない。
ということでこの問題は解決した。
しかし、根本的にどこにでもいる高校生を山崎賢人が演じているというのは完全に私の妄想でありこの問題がそもそもあったのか?という問題が急浮上している。
以上です。